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25  戦場の狼煙  ①

Author: 米糠
last update Last Updated: 2026-01-09 07:02:10

 カーネシアン軍の作戦は、夜明けとともに静かに幕を開けた。

 赤みを帯びた朝霧が薄くたなびく戦場。東の空から陽がゆっくりと昇るにつれ、遠くの陣営から立ち上る灰色の炊煙が視界を染め始めた。それはまるで、これから始まる戦乱の狼煙のようにも見える。

 山城であるケルシャ城の尖塔から、この異変を見つめる数人の影があった。

 黒を基調とした王衣を纏い、背筋を真っ直ぐに伸ばした青年――ベルシオン王国国王、ルーク・ベルシオン。

 鋼のような肉体を鎧の下に秘めた歴戦の将軍――『銀狼』の異名を持つガリオン。

 眼鏡越しに冷静な光を宿す参謀――知略をめぐらすケインズ。

 そして、堂々とした体躯を持ち、長年戦場を経験してきた老将――ケルシャ城の守将マルク公爵。

 彼らの目は、遥か遠くに広がる敵陣を捉えていた。

「……敵兵が食事を終えれば、いよいよ動き出すな」

 マルク公爵の低く渋い声が、静寂の中に響く。

 彼の視線の先では、カーネシアン軍の兵士たちが、焚き火の周りで最後の食事をとっていた。鍋の湯気がゆらゆらと立ち上り、焼き立てのパンを割る音がかすかに届く。戦いを前に、最後の安らぎを享受しているようにも見えた。

 しかし、それはあくまで戦前の静けさに過ぎない。次の瞬間には、剣戟と血飛沫が飛び交う地獄へと変わるのだ。

 ルークはじっと遠方を見つめ、微かに目を細める。

「六千の敵を相手に、三千で守る……」

 彼は静かに呟いた。

 自らを鼓舞するような言葉ではない。状況の確認に過ぎない。だが、その声音には確かな自信と覚悟がにじんでいた。

「渡河中を狙うのですか?」

 ガリオンが口を開く。鋭い声が空気を切り裂くように響いた。

 その問いに、ケインズが眼鏡を押し上げながら続ける。

「定石では、敵軍が川の半ばまで進んだところで一斉に叩くべきでしょう。水流に足を取られる彼らは、まともに防御もできません」

 二人の視線がルークに向かう。

 彼はゆっくりと腕を組み、しばし沈黙する。

 ルー

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